デラシネのーと

けーごの雑記

医学的または音楽的に、「胸が締め付けられる」ということ

クーラーとエアコン

クーラーと言えば、自宅から車からオフィスから駅のキヨスク(異様に冷えている)から、この夏に八面六臂の活躍を見せているあの冷房装置のことであり、ドラゴンボールにおいてはフリーザのお兄ちゃんです。

 

正確にはクーラーとエアコンって別物ですよね。冷却装置全般をクーラーと呼ぶのに対し、冷暖房・除湿など多機能で、七月直前になるとジャパネットで新型モデルが叩き売りされるアレはエアコンです。

エアコンは言わずもがな「エアーコンディショナー」の略語であって、そしてエアーコンディショナーが何かというと、「空調」の直訳です。「エアー」の「コンディショナー」ですから、語義的な面でも、完全な形で「空調」=「エアコン」なんですよね。ちょっと意外。

なんか家庭用の横長のアレをエアコンと呼んで、学校やオフィスで天井に埋め込んであるアレを空調と呼ぶイメージが勝手にありました。使い分けされてる別の言葉だと思ってたんですが、この感覚分かる人いますかね。分かる人がいたら、募集しておいてすみません、それは完全に間違いです。

 

吐血と喀血

さてそんなエアコンの話。

不肖、私、一年前の夏に初めて「血反吐をはく」というものを経験しまして。いや、思春期みたいに誰もが通る道ではないと思うんですけども。


ちなみにちょっと脱線すると、吐血と喀血の違いはハッキリしており、吐血は消化管系からの出血、一方気管支からピュッと出てくるのが喀血と呼ばれます。

喀血の方が血が鮮やかな色をしていて、吐血の方は消化器官由来だから胃酸と混ざってどす黒い色の血が出てくるそう。うぇ。喀血は9割が肺結核によるものだそうですが、戦前から戦後にかけて国民の死因第一位だったことを考えると本来そこまで縁遠い現象でもないのかな? (以下、結核で没した明治以降の有名な文豪)

樋口一葉

国木田独歩

二葉亭四迷

石川啄木

正岡子規

梶井基次郎

森鴎外

 調べたところ、いっぱいやられてます。

ちなみに梶井は中学時代、「肺病になりたい、肺病にならないと良い文学が出来ない」みたいなことを言ってたそうです。…えーと、結核よりも根深い病の存在を見た気がしますね。

 

この夏も大流行するだろうアレ

血反吐をはいたことについて、どういう経緯かというといまだにハッキリとは分からないんですが、例年通りに蒸し暑く例年通りにそこかしこで警報が出されていた去年の夏、エアコン付けっぱなしのヒンヤリした室内で目を覚ますと、今までに感じたことのないレベルで胸部に痛みを覚えまして。

「胸が締め付けられる」系の恋の歌なんてのは世の中に溢れかえってるわけですが、今まで全く意味を分からずに聴いてたんだなぁと大反省しました。胸締め付けられるってほんとヤヴァイ。まさに心臓が鷲掴みにされている感覚、塗炭の苦しみというやつです。宇多田ヒカルとかすごいな、しょっちゅう胸締め付けられてるイメージだけど根性ありすぎだろ。あまりの痛みに意識が朦朧として、自分の命日くらい確認しておこうと携帯を開いた矢先、そうだ誰かに助言を乞おうという発想に思い至りました。

父親が口腔外科医ということもあり、昔から医療系のウンチクを結構聞かされてきたので、なんとなく彼ならば口頭診察で解決できるのではないかと思い(かなりの畑違いかもだけど医療従事者には違いない)救急車を呼ぶ前にまず相談してみました。


Q.ずばり、クーラーってあたりすぎると心臓痛くなる?

 

えー、これが実際の診断結果、つまるところは脱水でした。

 

冬場の暖房は乾燥するという話を聞きますが、実は冷房でもめっちゃ部屋は乾燥してるのだそうです。

 

乾燥すれば発汗も早くなる

脱水が起こる

発汗できなくなり体温調節が不可能に

胸が締め付けられる夏、到来

 

というフローです。ちょっとオシャレに言ってみました。

 

いわゆる熱中症というのは4種類に分かれているというのは有名な話。日光が当たってなくても発汗できなくなると体温は上昇してしまうのですね。だから、本当は冷房×加湿器という離れワザは推奨されるべきなのだとか。なんか湿度高くなると暑くなるイメージありますけど、室温自体が低ければそんなに気にならないみたいです。

 

ところで、これって血反吐はいたことの説明にはあんまりなってないような・・・?怖くてあんまり追及できないんですが、心臓の痛みと強く結びついて記憶が捻じ曲がっているだけで、もしかしたらただの重めの歯槽膿漏だった可能性もありますね。それこそ口腔外科の親父には言いにくいですが。

 

というわけで殺人的な酷暑での幕開けとなったこの夏も、隠れ脱水にお気を付けて。僕はポカリ飲んでなんとかなったんですが、マジでやばくなったら救急車もアリだと思います。大げさとか言ってないで呼ぶべきですよ。 

友人が葛西臨海公園で寝転んでたらデカめの虫が耳に入り込んで、とっさに持ってたウィスキーを耳に流し込んだら虫がさらに大暴れしたので救急車を呼んだそうですが、かかったのは診察代のみだったそうなので、そこまで怖がる必要はないと思います。・・・というかこの例の場合、怖がるべきなのは飲みすぎによる判断力の低下かもしれません。

ちなみにお酒も脱水しやすくなるからね!!

 

 

 

あと、全然関係ないのですが今日の「プロフェッショナル~仕事の流儀~」は先ほど言及した宇多田ヒカルさんが取り上げられていました。「音楽が脚本で、それを演技するのが歌詞とか歌うこと」という発言に痺れました。以上です。

 

初恋

初恋

 

おじさんは美少女に変わり、傷口は脳みそに変わる

2018年のバ美肉ブームが熱い

バ美肉おじさん」の存在をご存じでしょうか。彼らは我々のすぐ隣に潜んでいるかもしれず、決して社会の表層には露見しない形でジワジワと勢力を広げているようです。なんと2018年7月現在、推定4000人もの「バ美肉おじさん」が存在しているのだそう。

 

www.vtuber-housou.com

 

バ美肉おじさん」とは「バーチャル美少女受肉おじさん」、つまり流行りの「Vtuberの中身となるおじさんのこと。3D加工された可愛いイラストに変声用のデバイスで心を吹き込み、見事に美少女への受肉を果たしたおじさんたちが世の中には4000人も存在するのです。2018年のVtuber界隈は飛躍的な盛り上がりを見せており、現在業界は「おじさんがおじさんにガチ恋し嫉妬する地獄」などと言われているよう。僕としては、いま眉をひそめた方は極めてまともな神経をしていると思うところでございます。

 

しかしあなどるなかれ、バ美肉おじさんはおじさんであるがゆえに、多くのおじさんにとって理想的な「kawaiiムーブ」がとれるという合理的な理屈が働いているそうで、(お相撲さんの作るちゃんこがマズいワケ無ぇというような話で、なにやら風刺的です)アイドル的アイコンとしてかなりクオリティの高いコンテンツになっているようです。

もちろんYoutuber同様に人気はピンキリなのでしょうが、ひとまずバ美肉おじさんたちはファミレスで食べ残しを出して炎上することはありませんね。我こそはという方、ぜひ穏やかな心で沼にハマってみてください。

 

早い話が『顔出しオーケーになったネカマ』だと思うのですが、こうなるともはや、あなたの友人、恩師、お兄さんお父さんといった肉親にいたるまで、バ美肉おじさん」でないと証明するのは困難なのです。こんな近未来的な悪魔の証明がかつてあったでしょうか。ちょっと興奮してきますね。

 

新手のパワーワードであることは間違いなくとも、盛衰の激しいネットの世界、この「バ美肉おじさん」はすでにニューカマーとは言えないようです。置いてけぼりをくわないよう、そして男友達や父親の突然のバ美肉カミングアウトに一歩引かないよう(いや想像したら意外と笑えない)、テクノロジーの最新事情には常に監視の目を光らせていきたいところです。

 

 オーバーテクノロジー絆創膏が熱い?

以前「クレイジージャーニー」を見た際にボディハック(トランスヒューマン)の深淵を覗き、人工骨はおろか歯への詰め物やインプラントすら経験したことがない僕はけっこう精神的ダメージを受けたのですが、埋め込み要素の無い「ウェアラブル○○」的なテクノロジー事情に関しては昔からちょっと興味があります。

 

以前興奮したのはコンタクトレンズにチップが埋め込まれていて、装着することで血糖値などのバイタルサインを計れるというもの。

 

 指先に乗る直径2.3センチメートルのレンズに一辺2ミリメートル程度の回路が埋め込まれている。医療ベンチャー、ユニバーサルビュー(東京・千代田)が開発中のスマートコンタクトレンズの試作品だ。涙から血糖値を、微弱電波から心拍を、毛細血管から血圧を測定し、無線で情報を飛ばす。2020年までの実用化を目指す。

 *1

 

グーグルのスマートレンズ技術は聞くところ、カメラレンズのようにオートフォーカス機能付きのコンタクト開発にも力を入れているそう。眼球の「ウィーン&カシャ」は男のロマン、これはアガる。

 

そして7月11日、このセブンイレブンの日にやっていた「ホンマでっか!TV」では最新の絆創膏の話が紹介されていて、これもまた夢のある内容でした(情報番組として成立してるのか怪しいほどの番組のマユツバ感はひとまず置いておきます)。

 

その絆創膏、傷口に貼り付けることでなんと細胞の情報を「治癒しやすいもの」に書き換え、治癒能力を高めるというのです。さらにネズミとブタで成功している実験では、その絆創膏の機能で「脳や臓器の細胞も作り出し移植できる」とのこと。

信じ難い話ですが「Nature」でも取り上げられた実験という話で、電子版ではまだその記事は発見できてないんですが…えーとつまり、それが本当なら貼り付けた部分の皮膚が脳みそになるってこと?なにその現象、頭良すぎて頭悪く聞こえる。

 

ただそんな着せ替え気分で人体改造できてしまう代物、コスト面を考えると従来の絆創膏のイメージで市販化されるハードルは実用化と比べ物にならない高さでしょうけども。

 

以上、テクノロジーで気になったこと2点でした。

 

*1:引用:2018/4/5 2:00 日本経済新聞 電子版/「提供する方が得か 権利放棄、問われる個人」

夏の季語

鮨(すし)は冬に食べたほうが魚に脂が乗ってて美味しそうというイメージがあるかもしれませんが、なんと夏の季語なのだそうです。コハダに鯖にエトセトラ、青魚が美味しい季節の到来、夏本番は鮨本番というわけですね。ちなみにこの情報はセブンの窓際、いわゆる「立ち読みゾーン」に置いてあった、まんべんなく鮨のことばかり書かれた実にニッチな冊子に載っていた情報なので間違いないと思います。

 

ただし日本で最も手垢のついた古今独歩のデータベースとも言える我らが「広辞苑」を調べたところ、鮨が夏の季語とされるのは酢が暑さに耐えるからだそう。

なんでぇシャリの力かよと思うと同時に、なるほどやはり体温まで計算して精緻にシャリをこしらえる職人さんの玄人芸こそ鮨の味わいの醍醐味であって、あの手間と技術のおかげで季語としても存在を許されているわけです。古人之糟粕(こじんのそうはく)というわけではないですが、くるくる回る米の上に魚が乗っかってるだけのアレを夏の句の中に盛り込むとどこかからお叱りを受けるかもしれません。ワビ「サビ」が無いとはこういうことでしょうか(今思いついた)。

 

そんな夏の訪れですが、西日本に未曽有の被害を振り撒いていったことも完全に事実で。

 

「距離」という概念は不思議なもので、例えば「手を繋げるほどの距離」と言ったところで、それが駅の公衆便所の個室の隣同士となると、物理的な距離どうこうではなく2人の距離は無限ほども離れているわけです。

声を交わし意見を交わし、他人のパーソナリティと人となりを意識して初めて、他人事という足枷を外したうえで僕らは他人に水を向けることが出来るのかなと。交わることのない赤の他人の苦しみは所詮、赤の他人の苦しみ。洗濯の色移りみたいに誰かの不幸をメンタルに染み込ませて、いちいち不幸せになることはないと思うんですが、それこそ赤の他人の「赤」が色落ちしてしまったのか、今日は関りもしない遠くの人間を不幸を酷く意識した日でした。というのも、仕事でプレゼントキャンペーンの商品発送の手続きをしていたところ、九州方面に向けての集荷は現在扱ってないと言われたんですよね。

 

なんというか、「あー」と思いました。

 

13府県で、現在死亡者126名。この平成最悪の豪雨が「平成30年7月豪雨」として気象庁に定められたそうです。平成最後の夏の始まりは最悪だったと言っても全国的には差し支えなさそう。

 

東京の雑踏はというとびっくりするくらい平常運転で、豪雨のすさまじさの代わりに、他人という距離のすさまじさを物語っています。

僕個人としても、変に「どこかの誰か」を意識してしまったために、いつものように「心を痛める」という安っぽい言葉に逃げられず、苦し紛れに芽生えてきた良心のジト目に見張られてるせいで大きく居直れもせず、心の据え処に居心地の悪さを感じてる次第です。

ここにはまだジメっとした空気が流れていて、梅雨はあがっていません。

 

 

馬鹿正直にこんなこと書いてたら、いつかライターなのに変なこと書くなとか言われるんですかね。でも例えば消防士が目につく火を全部消して回らないと怒られんのかっていうとそうじゃないですよね、料理もできやしねぇ。そんな奴キャンプも誘われません。(ライターと火の例えで、予期せずややこしくなった)

SNSもそうですが、あんまり人の眼を気にし過ぎるのもね。考えたらこれも、「炎上」ってことでややこしい。つうかそれ言い始めたら、「ライター」が「炎上」するのって当たり前すぎて草生えますね。その草もさぞ良く燃えることでしょう。

何言いたいのか分からなくなったから今日はここまで。

思えば先生には恵まれている

中学校の頃、よく授業を止める生徒だった。

もちろんそれは、先生に分からないところを尋ねるとか品行方正な理由からではなくて、ウケを狙って授業を冷やかし、教壇にまします方々からツッコミを引き出すという、一度目の人生をプレイする男子中学生が避けようもなく罹患する目立ちたがりの病に先生方を付き合わせていただけの話だ。教員養成に明るい大学を出た今となっては、裏で涙ぐましい努力のもとに組まれた綿密な授業計画が、スケジュールを狂わせる生徒の悪逆極まるジャミングのせいでどれだけ無残に塵と消えるかは想像に難くない。金銭の絡まない範囲で、できることなら謝りたい。

しかし授業を中断させることを鬼の首を取るような武功だと考えていた当時の僕は、その雄姿を近親者にも誇りたかったために、例えば保護者に臨席をたまわり緊張が走るXデー、つまり授業参観の日も、いつものように、というかいつも以上に気合を入れて授業に冷やかしを入れた。どうだいマム、敵陣に攻め入る僕の一番槍を見ていてくれたかい?しかし結果として、首尾よく白星をあげた戦(つまりそこそこウケた授業)が終わっても、勝どきは上がらず、角笛は鳴らなかった。一堂に会し授業を見守る保護者の列の中で、母はただ、怒りと恥ずかしさで比喩じゃなく血涙を流していた。過剰なストレスが血流を乱し毛細血管を破裂させることは本当にあるのだなぁという人体への学びと共に、僕はその授業参観以降、少しだけ大人しくならなかった。

ならなかった。全くならなかった。母の身体に負担をかけないよう心を入れ替えるというプランには、申し訳ないけど無理があった。何故なら僕らの担任の先生は、こうして馬鹿馬鹿しい使命感をもって授業妨害に精を入れていた中学生活を鼻白んで懐古することが更に馬鹿馬鹿しくなるほど、今もって呆れるほど、あの授業妨害を楽しんでいたように思うから。

名将は兵が期待に応えたくなるよう仕向けることで士気を高める。僕らは授業が止まる代わりにもたらされる先生の呵々大笑に少年の心をくすぐられるまま、勝ち戦(楽しかったやりとり)を量産していった。

 

 

さて、それが今から10年前の話だが、その先生から、この前久しぶりにLINEが飛んできた。というか初のLINEだった。LINE PAYのグリーン宝くじを無言で送りあう以外、彼女との携帯でのコミュニケーションは無かった。

まさにビジネスライクな関係というか、現金な関係であって、それは僕の中では中学校の頃から通底したあの人との付き合い方だった。僕たちが授業を引っ掻き回すから、あなたは打たれまくる半畳を捌いていればクラスも盛り上がるだろうという、協力プレイでビジネスチックな何かを成立させたがっていたあの頃と変わらない感覚だ。

 

果たして、LINEの内容は、端的に言うと暇つぶしだった。

 

元教え子に「暇つぶし」という恋人レベルの距離感のLINEを送る現役教師が果たして正常なのか、僕には分からないし、できるなら僕以外の人でやってほしかったし、その旨を正直に伝えるとすでに元クラスメイトの中に被害者が何人か出た後だったし、「ローテーションでLINEしていく」なんて教育の質が落ちた未来の二者面談みたいなことしないで欲しかったし、この人が違法な薬物をやっていても僕はぜんぜん驚かない。

 

実際、そこそこいい歳になった今の僕から見ても、年齢を弁えろよと逆に説教をたれたくなるほどアヴァンギャルドな感性をお持ちのふざけた人だけど、(例えるなら『キレたナイフ』というやつで、中高生ならともかくいい大人がこんな表現で書かれることを心から恥ずかしく思って欲しい)しかし人間として最低限の倫理観というか、仮に戦時中でも亡命兵を撃ち殺すようなマネはしないだろうと期待できるくらいの良心を持ってる人ではある。

何より僕自身、多感な中学時代をこの人のもとで侃々諤々のディベートというか水掛け論というか、そんなことを繰り返して過ごし、様々な屁理屈を仕込んでもらっては、その理屈を今日まで熟練の刀匠のように矯めつ眇めつして鍛え上げて来たので、先生の教え(?)が僕の自我形成の一翼を担っていることはもう完全に間違いないのだった。

 

思えば僕の人生、色々な出会いがあったけど、先生には恵まれている。悪くない。教師という道こそ選ばなかったけども、それは確かなことだった。

LINEで暇つぶしの近況報告みたいなことをして、(結局既読無視して強引に終わらせてしまった)その末尾の方で先生に言われたことを最後に付け加えようと思う。

 

 

面白いならヨシとすべし

 

 

文脈がどうあれ「ろくでなし」の感は否めないが、どうにもこの意見は僕の中にも深めに根付いていて、時たまかなり疼くことがある。

 

 

 

 

 

偏見です

よく「空っぽな人間になるなよ!」とか、言われますね。さらに説法めいた文句だと「空のバケツほど大きな音を立てる」とか言いますが、それで言うと僕らがなってはいけない「空っぽな人間」とは、具体的にどんな人間を指すのでしょうか。こんな疑問にいちいち躓くことなく目標を持って歩む人生を求められている気がしないでもないのですが、いやいや、それはそれとして結構指標が曖昧ではないですかね。何ですか「空っぽな人間」って。

 

逐一「空っぽ」を、「虚ろ」みたいなものを引き合いに出されると、それは余りに身近なものであって、自分が空っぽでないことに関してだんだん自信がなくなってきますよね。意識のすぐ隣を「空っぽ」が蠢いていると、浸透圧が働いて自分の中にもうっすい溶媒が流れ込んでくるというか。えーと近年まれにみる何言ってんのか分からないやつですが、簡単に言うと片づけろ片づけろと言われると片づける気が霧散してしまう現象が起きるわけです。最初から空っぽなんて選択肢を認知すらしなければそれなりに充実してやってけるんだぜ、みたいな。いやほんと、「空っぽな人間になるなよ!」なんて一体誰が言い出したんだか。

 

「空っぽな人間」の「全力の見栄」、つまりポーズを、まぁフグの威嚇みたいなものだと思うんですが、実は「あ、ポーズだな」と見抜ける人はそれほど多くないのではないかなと思うんですよね。だから多少プロポーションに自信がなくたって、人前では少し腹筋に力入れて歩けば良いじゃん的なことを思います。例えば趣味の無さとか、他人との会話のネタに困るとか、そういうただの自分の性格とか特徴を、安易に「空っぽ」みたいな言葉に結びつける必要も無いですよね。ほんと、次のお酒頼む時だけに使いましょ、そんな言葉。

 

あと全然関係ないですが、多少ギターとかを齧っていて「自分の曲を作る」ことに目覚めた人間は最初の五曲以内に絶対「透明人間」的なタイトルの曲を作ってると思います。偏見です。本日は以上です。

 

 

 

盗汗

 

寝汗のことを、盗汗【とうかん】とも呼ぶそうです。けっこう面白い。それで言うと、昨日はかなりの汗を盗まれました。ここのところの寝苦しさにはウンザリするものがあるし、起きたら起きたで蒸してるし、この雨季の居直り方たるや、まさに盗人猛々しいといったところでしょうか。早めに取り締まってほしいです。

 

僕の一番好きな季節は「秋」でして、何故かと言えば単純に、起承転結で言うところの「転」だからです。あれ、あんまり単純じゃないか。イベント目白押しのくせに期間的には無いも同然みたいな、あの鮨詰め感ですね。

僕は学校が大好きな人間だったので、なんとなくクラス友達との仲も気の置けないものになってきて結束も強まるうえにイベントに事欠かない、ああいうワチャワチャした時間がめちゃくちゃラブでした。

あと夏から冬への変わり目ってだけでなんとなく寂しい気分になるあの感じですかね。いや、今更だけどこれってすごいことですよ。特に感慨も物思いもないのに人間がなんとなく寂しくなるように仕込まれてるって、四季の顕著な日本特有のものではないですかね。すごい国だなー。

 

 

ところで、梅雨ってなんで四季に入れなかったんですかね?五季じゃ駄目だったんですかね?干支に入れなかった猫みたいな不遇さ。知ってる人いたら教えてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

7時間寝ます

 さすがに干支が二回りもすると黒歴史にならないようにブログを運営することもできそうなものなので、始めました。

 開設が10秒くらい(いや、掛け値なく10秒でした。Googleアカウント万歳)でできたことに驚いたし、となると何となくで敬遠してたのが馬鹿らしくて、自分がどれだけ前時代的な人間だったのかをゆる~く再認識しました。なんでもやってみるものですね。

 

しかし、結果論とはいえ10秒の作業を渋っていたとなると、「10秒」って意外と馬鹿にできない・・・。一日の中に10秒って8640個も詰まってるわけですし。その気になればエネルギー補給(ものによる)も100メートル移動(人による)も10秒あれば事足りる時代、「10秒でできることは10秒で終わらせる」を守るだけで結構色んなことに挑戦できるようになるのかも。あんまり意識し過ぎても10秒に生かされてるのか殺されてるのか、みたいな話になってきてよくわからないのでアレですが。

 

初日に気張りすぎてもアレなので以上です。このスパンで「アレ」を2回使ってる時点でもうかなり眠いよね。10秒を2560個くらい使って寝ます。