デラシネのーと

けーごの雑記

偏見です

よく「空っぽな人間になるなよ!」とか、言われますね。さらに説法めいた文句だと「空のバケツほど大きな音を立てる」とか言いますが、それで言うと僕らがなってはいけない「空っぽな人間」とは、具体的にどんな人間を指すのでしょうか。こんな疑問にいちいち躓くことなく目標を持って歩む人生を求められている気がしないでもないのですが、いやいや、それはそれとして結構指標が曖昧ではないですかね。何ですか「空っぽな人間」って。

 

逐一「空っぽ」を、「虚ろ」みたいなものを引き合いに出されると、それは余りに身近なものであって、自分が空っぽでないことに関してだんだん自信がなくなってきますよね。意識のすぐ隣を「空っぽ」が蠢いていると、浸透圧が働いて自分の中にもうっすい溶媒が流れ込んでくるというか。えーと近年まれにみる何言ってんのか分からないやつですが、簡単に言うと片づけろ片づけろと言われると片づける気が霧散してしまう現象が起きるわけです。最初から空っぽなんて選択肢を認知すらしなければそれなりに充実してやってけるんだぜ、みたいな。いやほんと、「空っぽな人間になるなよ!」なんて一体誰が言い出したんだか。

 

「空っぽな人間」の「全力の見栄」、つまりポーズを、まぁフグの威嚇みたいなものだと思うんですが、実は「あ、ポーズだな」と見抜ける人はそれほど多くないのではないかなと思うんですよね。だから多少プロポーションに自信がなくたって、人前では少し腹筋に力入れて歩けば良いじゃん的なことを思います。例えば趣味の無さとか、他人との会話のネタに困るとか、そういうただの自分の性格とか特徴を、安易に「空っぽ」みたいな言葉に結びつける必要も無いですよね。ほんと、次のお酒頼む時だけに使いましょ、そんな言葉。

 

あと全然関係ないですが、多少ギターとかを齧っていて「自分の曲を作る」ことに目覚めた人間は最初の五曲以内に絶対「透明人間」的なタイトルの曲を作ってると思います。偏見です。本日は以上です。