デラシネのーと

けーごの雑記

思えば先生には恵まれている

中学校の頃、よく授業を止める生徒だった。

もちろんそれは、先生に分からないところを尋ねるとか品行方正な理由からではなくて、ウケを狙って授業を冷やかし、教壇にまします方々からツッコミを引き出すという、一度目の人生をプレイする男子中学生が避けようもなく罹患する目立ちたがりの病に先生方を付き合わせていただけの話だ。教員養成に明るい大学を出た今となっては、裏で涙ぐましい努力のもとに組まれた綿密な授業計画が、スケジュールを狂わせる生徒の悪逆極まるジャミングのせいでどれだけ無残に塵と消えるかは想像に難くない。金銭の絡まない範囲で、できることなら謝りたい。

しかし授業を中断させることを鬼の首を取るような武功だと考えていた当時の僕は、その雄姿を近親者にも誇りたかったために、例えば保護者に臨席をたまわり緊張が走るXデー、つまり授業参観の日も、いつものように、というかいつも以上に気合を入れて授業に冷やかしを入れた。どうだいマム、敵陣に攻め入る僕の一番槍を見ていてくれたかい?しかし結果として、首尾よく白星をあげた戦(つまりそこそこウケた授業)が終わっても、勝どきは上がらず、角笛は鳴らなかった。一堂に会し授業を見守る保護者の列の中で、母はただ、怒りと恥ずかしさで比喩じゃなく血涙を流していた。過剰なストレスが血流を乱し毛細血管を破裂させることは本当にあるのだなぁという人体への学びと共に、僕はその授業参観以降、少しだけ大人しくならなかった。

ならなかった。全くならなかった。母の身体に負担をかけないよう心を入れ替えるというプランには、申し訳ないけど無理があった。何故なら僕らの担任の先生は、こうして馬鹿馬鹿しい使命感をもって授業妨害に精を入れていた中学生活を鼻白んで懐古することが更に馬鹿馬鹿しくなるほど、今もって呆れるほど、あの授業妨害を楽しんでいたように思うから。

名将は兵が期待に応えたくなるよう仕向けることで士気を高める。僕らは授業が止まる代わりにもたらされる先生の呵々大笑に少年の心をくすぐられるまま、勝ち戦(楽しかったやりとり)を量産していった。

 

 

さて、それが今から10年前の話だが、その先生から、この前久しぶりにLINEが飛んできた。というか初のLINEだった。LINE PAYのグリーン宝くじを無言で送りあう以外、彼女との携帯でのコミュニケーションは無かった。

まさにビジネスライクな関係というか、現金な関係であって、それは僕の中では中学校の頃から通底したあの人との付き合い方だった。僕たちが授業を引っ掻き回すから、あなたは打たれまくる半畳を捌いていればクラスも盛り上がるだろうという、協力プレイでビジネスチックな何かを成立させたがっていたあの頃と変わらない感覚だ。

 

果たして、LINEの内容は、端的に言うと暇つぶしだった。

 

元教え子に「暇つぶし」という恋人レベルの距離感のLINEを送る現役教師が果たして正常なのか、僕には分からないし、できるなら僕以外の人でやってほしかったし、その旨を正直に伝えるとすでに元クラスメイトの中に被害者が何人か出た後だったし、「ローテーションでLINEしていく」なんて教育の質が落ちた未来の二者面談みたいなことしないで欲しかったし、この人が違法な薬物をやっていても僕はぜんぜん驚かない。

 

実際、そこそこいい歳になった今の僕から見ても、年齢を弁えろよと逆に説教をたれたくなるほどアヴァンギャルドな感性をお持ちのふざけた人だけど、(例えるなら『キレたナイフ』というやつで、中高生ならともかくいい大人がこんな表現で書かれることを心から恥ずかしく思って欲しい)しかし人間として最低限の倫理観というか、仮に戦時中でも亡命兵を撃ち殺すようなマネはしないだろうと期待できるくらいの良心を持ってる人ではある。

何より僕自身、多感な中学時代をこの人のもとで侃々諤々のディベートというか水掛け論というか、そんなことを繰り返して過ごし、様々な屁理屈を仕込んでもらっては、その理屈を今日まで熟練の刀匠のように矯めつ眇めつして鍛え上げて来たので、先生の教え(?)が僕の自我形成の一翼を担っていることはもう完全に間違いないのだった。

 

思えば僕の人生、色々な出会いがあったけど、先生には恵まれている。悪くない。教師という道こそ選ばなかったけども、それは確かなことだった。

LINEで暇つぶしの近況報告みたいなことをして、(結局既読無視して強引に終わらせてしまった)その末尾の方で先生に言われたことを最後に付け加えようと思う。

 

 

面白いならヨシとすべし

 

 

文脈がどうあれ「ろくでなし」の感は否めないが、どうにもこの意見は僕の中にも深めに根付いていて、時たまかなり疼くことがある。